2012年7月10日火曜日

ロットバルトはなぜオデットを呪うのか?


この何年か、昔の職場の先輩のおかげでバレエをちょいちょい観に行く機会に恵まれている。おかげさまで、ぼんやりとしか知らなかった三大バレエなどのストーリーも、誰の振付をもとにしているかで結末が変容し、西洋の宮廷文化のなかで発達したので独特な舞踏会のお約束に則っているなどなど、いろいろと得心したのだが、どうしても納得がいかないことがある。

白鳥の湖で、悪魔のロットバルトはなぜ、オデットを白鳥に変えるほど恨んでいるのか???

クラシックバレエの代名詞ともいえる「白鳥の湖」は、悪魔のロットバルトに姿を変えられた王女オデットを、王子ジークフリートが唯一無二の愛を誓うことで救おうとするが、悪魔の奸計にジークフリートが嵌ってしまうという筋立てだ。結末については、誰の振付を採用しているか(多くはバレエ団によって)、オデットとジークフリートが湖に身を投げて終わったり、ロットバルトをジークフリートが退治したりといくつか存在する。

結末は違えど、共通しているのは、「なぜ」ロットバルトが王女オデットを白鳥の姿に変えたのか説明がないことだ。

「眠れる森の美女」でオーロラ姫が呪いをかけられたのは、誕生祝いに呼ばれなかった魔法使いがひがんで恨んだからだ。「美女と野獣」で王子が野獣に変えられたのは、魔女の願いを聞き届けなかった報復だ。チャイコフスキーが着想を得た作品の一つと言われるワーグナーのオペラ「ローエングリン」でゴットフリート王子が白鳥の姿へ変えられたのは、テルラムント伯爵夫人で魔法使いのオルトルートによるブラバント公国乗っ取りの謀略のためだ。だが、「白鳥の湖」では悪魔がなぜ王女を呪って姿を変えたのか、いっさい説明がないのだ。

ロットバルトの呪いの理由を知りたくて、図書館へいったときにちょいと調べてみた。結論としては、

ロットバルトが呪う理由は、わからない

というものだった。
「白鳥の湖」には原作にあたる民話も小説も存在せず、原作が誰の手によるものかはいまも議論の的になっている。そもそも、1877年にモスクワで初演される前年、1876年10月19日の新聞に台本が発表されるまで、一度も活字になっていない。そして、この初演時の台本は、現在とは大きく異なっていた。

まず、オデットは王女ではなく、騎士の父と妖精の母のあいだの娘となっていた。物語が始まる時点では、父(オデットからみると祖父)の反対を押して結婚した妖精の母はすでに亡く、父の再婚相手からオデットは疎まれている。再婚相手は魔法使いで、オデットのことを疎んでさいなむために妖精である祖父がオデットを引き取っている。

そして、昼のあいだオデットが白鳥になっているのは、命を狙う魔法使いの継母から身を守るため、祖父が施してくれた術だった。よんどころない事情で白鳥になっているとはいえ、理由は呪いではない。

そして、ロットバルトは悪魔として娘のオディール(黒鳥)を連れて登場するが、登場するのは舞踏会だけで、現在よく上演されるような、最終幕でジークフリートと対決する場面もない。最後の場面に登場するフクロウは継母が姿を変えたものであり、ロットバルトではない。

初演の形が変容したのは、1893年にチャイコフスキーが死去し、翌年に蘇演されたとき。「白鳥の湖」は初演からしばらく、ほとんど上演されることがなかったそうだ。そのため蘇演でかなり改変を加えても、観る側に違和感はなかったらしい。

初演よりも観やすくしようと物語をスッキリさせるため、オデットの家族の来歴は割愛され、悪役は継母とその使い走りのロットバルト二人から、悪魔ロットバルト一人へと変更された。意地悪な継母の呪詛を、何の説明もなしに悪魔ロットバルトへ引き継がせて蘇演し、基本的に現在まで続いている。

ロットバルトがオデットを呪う理由は、やっぱりわからない

から、今後、「白鳥の湖」を観るとき、悪魔ロットバルトがフクロウを模して妖しく登場したあかつきには、魔女属性もあると妄想して観ることにいたします。


参考資料:
「永遠の『白鳥の湖」 チャイコフスキーとバレエ音楽」(森田稔、新書館、1999.3.)
「奪われたヴェール 『白鳥』をめぐる神話と伝説」(市川明 訳、殿井博 編、貞松・浜田バレエ団, 1990.1.)

2 件のコメント:

  1. はじめまして。
    私も同じことを悩んでいたことがあり、
    ああ、きっとロットバルトはオデットを単純に好きだったんじゃないだろうか、、、と思いいたったことがありますよ。

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  2. チャイコフスキーがすばらしい、劇は気にならな切った、物語の解明はしりたいです

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